夫に転勤の内示が出たのは5月のある日、突然のことでした。
大阪から東京へ。
私は大学を卒業してから18年間務めた会社を辞めて、家族で引っ越す決断をしました。
悩む余地なんてない。迷わず決めました。
上司は夫に、1週間家族と相談して考えて返事をするようにと伝えていたようだったけれど、日本のサラリーマンが転勤を断る意味を知っている私には、転勤を断るという選択肢はありませんでした。
私自身、ずっとサラリーマンだったのだから。
しかもその転勤は夫にとってはいわゆる栄転で、はっきり言われたわけではないけれど、よくある時期的な人事異動とは違うものだと夫自身も思っていたようでした。
私は私の仕事が好きでした。子供のころからやりたかったアパレルの企画の仕事。
20代のころは出張にとびまわるだけでなく、趣味などのプライベートも充実した日々。
30歳を過ぎて結婚してからは、出張のない内勤の仕事に変えてもらい、2回の産休・育休を経てもずっと続けていきたい、続けていくのだろうと思っていた仕事でした。
自分でも努力をして来た事はたくさんありましたが、本当にいろんな面で恵まれていたと思います。
2人の娘は当時4歳と2歳になる直前で、私は時短勤務中でした。
単身赴任という選択肢もあった中で、家族で一緒に引っ越すことを決めた一番大きな理由は2つありました。
ひとつは夫の転勤が片道切符であったこと。
いつまで東京勤務が続くのかわからず、定年まで異動がない可能性もあります。
いま現在4年目に突入していますが、異動の気配は全くありません。
もうひとつは、働きながら一人で二人の娘を育てていく生活が全く想像できなかったこと。
下の子が3歳になったら時短勤務が終わる・・・ただでさえそのことが不安でした。
私はやっていけるのか、今でもいっぱいいっぱいなのに・・・と。
なにより、子供たちの為にも家族は一緒にいたほうがいい。私が一緒に子育てしたいのは他の誰でもなく夫です。
「自分のキャリアは一旦ここで終わらせよう。」そう決めました。
引っ越すことを決めてから家探しと同時に保育園探しを始めました。
わかってはいたことですが、途中入園の道はとても厳しいもので、もう無理かもしれないと、何度も何度も泣きました。
今思えば子供達がもう少し大きくなるまで1、2年待って、自分も新しい暮らしに慣れてから仕事を始めるという選択肢もあったのですが、仕事を辞めてぽっかりと心に空いた穴は自分が想像していた以上に大きく、当時の私はその穴を少しでも埋めようと必死になっていたのだと思います。
私にとって『仕事をする』ということはそれほど重要なアイデンティティのひとつだったのだと改めて自分自身に認識させられました。
幸運にも半年ほどでなんとか二人を保育園に入れることができ、本格的に仕事を探すことになった時、今度は新たな迷いが生まれてきました。
子供たちの今と、この後の成長を考えたとき、『自分のやりたいこと』と『自分がやるべきこと』『今(子供たちの為に)しなければ後悔するであろうこと』の境界線、と呼べるものが元々あるのかわからないけれど、自分がいったい何を望んでいるのかわからなくなってしまったのです。
仕事をしたい自分と平日は毎日ワンオペレーション育児をやっていく現実。
明らかに自分の中に矛盾を抱えていました。
結局、通勤時間を優先し、さらに9時から16時の時短勤務で事務の仕事を選びました。
アパレルとは全く関連のない業界で、派遣社員という選択。
夫の仕事と拘束時間、まだまだ手のかかる子供たちと小学1年生の壁、そして自分のキャパシティ。経済的には厳しくなると分かったうえで、すべてを考えて決めたつもりでした。
私の今までを知っている夫は何度か「本当にそれでいいのか。もっと他に(私の希望に沿う仕事が)あるのではないか。」と問いかけてくれました。
それに対する私の答えは、「今はこれが自分と家族にとって一番いいバランスなのだ」ということ。そしてそれに自分が納得しているかどうかもよくわからないまま、今日まで来ました。
でもこのバランスは、子供たちの成長と私の考えの変化に応じて今後も変わっていくのだろうと今は考えています。
今の職場に派遣社員としていられるいわゆる派遣法の3年のリミットが、2020年3月に来ます。そして4月にはいよいよ下の子が小学校へ入学。
偶然重なったその時が、私のライフステージを一歩前進させる時なのかもしれません。
今から約8カ月後、私は何に迷い、どう決断するのか。
少し先の自分の未来に今、ワクワクしています。
※「りっすんブログコンテスト」にエントリーしました。